杉原 千畝 – Chiune Sugihara

This is a speech I gave to my Japanese class at Keio University about Chiune Sugihara, a Japanese diplomat who saved the lives of thousands of Jews during the Holocaust.

Chiune Sugihara

皆さん、今日は。今日は杉原千畝という人について発表します。皆さんはご存知ないかもしれませんが、杉原千畝は歴史上最も偉大な日本人だと思います。僕はユダヤ人であり、又、祖父はホロコーストの生き残りですから、この話に大変感動しました。

杉原千畝は1900年に中部地方の岐阜県に生まれました。早稲田大学を卒業したのち、外務省の満洲国外交部に勤めることになりました。しかし、1935年、彼は日本の中国人に対する扱いに反対でしたので、満洲国外交部の仕事を辞めました。この行動から、杉原がどんな人であったかがうかがえると思います。

1939年、彼はリトアニアに派遣され、日本領事館領事代理となりました。その直後ナチス政権のドイツはポーランドを侵略し、ポーランドに住んでいたユダヤ人達は全てを失い、その多くが難民としてリトアニアへ逃げました。しかし、ドイツはリトアニアにも侵攻しようとしていましたから、ユダヤ人達はリトアニアからも逃げなければなりませんでした。

1940年、ソ連はリトアニアを侵略しました。ソ連は、ビザを持っていないユダヤ人に対してリトアニアを出る許可を与えないという政策をとりました。つまり、ユダヤ人達がビザを手に入れることは死活問題でした。

この恐ろしい状況を背景として、杉原は登場します。この時代にユダヤ人にビザを与える国はほとんどありませんでしたので、7月のある日、何百人ものユダヤ人が日本の大使館の前に集まってビザの発給を頼みました。杉原は窮地に陥ったユダヤ人達の話を親切に聞きました。しかし、彼には何も持っていない難民にビザを何百通も与える権限がありませんでした。彼は、東京にビザを与える許可を三回頼みましたが、三回断られました。困った彼は、どうすべきかを奥さんの幸子と相談しました。もし彼が難民のユダヤ人に勝手にビザを与えたら絶対に解雇されますし、反ユダヤ主義的なナチスとソ連による、自分の家族の安全に対するリスクもありました。しかし、もしビザを与えなかったら、ユダヤ人達を死に追いやることになります。彼は、両親に教えられたこの武士道精神を思い出しました:「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」。結局自分の政府の命令を無視して、ユダヤ人達を救うことを決断しました。

その時からソ連に追い出される時まで、杉原は一ヶ月一所懸命にビザを手で書きました。毎日18時間以上、ビザを何百も、つまり通常の一ヶ月分に_のビザを書いたそうです。杉原のおかげで、少なくとも六千人のユダヤ人がホロコーストで生き残った言われています。

その後、杉原は役所から解雇され、適した仕事を見つけることが出来ず、苦労しました。しかし、亡くなる一年前、イスラエル政府から「正義の人」として認められました。

「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。私には彼らを見殺しにすることはできなかった。」これは杉原の言葉です。

皆さん、ご清聴ありがとうございます。以前、杉原のことについてお聞きになったことがありましたか。ご質問、ご意見を聞かせて頂けたら嬉しいです。

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